川崎で起きた上村遼太くん殺害事件。
事件の概要を読んだ時、一瞬頭の中が真っ白になりました。
そして、手が震えるほどの怒りと悔しさと悲しみが溢れました。
どうして、どうして、どうして、その言葉だけが駆け抜け舞い戻りました。
「どうして」のうしろは「助けてあげられなかったの」という言葉です。
夢も希望もたくさんの可能性も持っていたはずの上村遼太くんの未来は、犯人達によってプッツリと絶たれました。
そんな事をする権利などこの世の中の誰にも無いはずだったのに。
既に18歳の少年と17歳の少年2名、合計3名が逮捕され取り調べが進んでいます。
事件の概要や背景が少しずつ明らかになっていく中、人を人とも思わぬ残虐な行為に胸が痛むばかりです。
「罪を憎んで人を憎まず」などという言葉が、薄っぺらな綺麗事だと思ってしまう程です。
現状逮捕されているのは3名ですが、関わった少年達はもっといるはずです。
犯罪行為を面白がって見て見ぬふりをしていた彼らには罪は無いのでしょうか。
そして、もしかしたら助けてあげられたかもしれないのに、助けてあげられなかった私達大人に罪は無いのでしょうか。
わずか13歳、ついこの間までランドセルを背負って、世の中に何の疑いもなく笑って友達と戯れていたはずです。
家庭の事情で引っ越しをし、川崎という一種独特な土地柄に不慣れだったなどという声もありましたが、非道な人間などというものはどこにでもいる可能性があるでしょう。
単純に環境に条件として色々な要素を挙げていけば、川崎という土地柄にはマイナス面が多かったのかもしれません。
それでも私には、加害者と環境を原因に起こった事件として済ませてはいけないと思えます。
上村遼太くんは何度も助けを求める発信をしていました。
「仲間から抜けたいけど怖くて言えない」
「殴られた」
「殺されるかもしれない」
近親者はいったい何を見てどう判断していたのか。
私は未婚で二人の娘の母親ですが、どんなに疲れて帰っても彼女たちの顔を見て言葉を交わす事を怠ったりしません。
たとえ寝ていたとしても、眠る彼女たちの頭を撫で、布団を直し、キッチンやリビングで彼女たちが何を食べたのか、何をしていたのか想像し、把握することに務めています。
母親というのはそういうものです。
顔に大きな痣を作って帰った子供を見て、何の危機感も持たないなど考えられません。
おそらく上村遼太くんの方が、疲れて帰る母親を心配させぬよう気遣っていたのだと思います。
わずか13歳という人生経験の中、もちろん間違いもあったでしょう。
間違いに気づかないままズルズルと引きずられ、そして引き返せなくなっていた。
自分一人の力ではもうどうにも出来なくて、誰かに助けて欲しかった。
でも助けてもらえなかった。
そんな彼の気持ちを想像する度に胸が張り裂けそうになります。
経済的な問題や居住環境、核家族であることなど、家庭の中でのコミュニケーションが薄くなる原因は沢山あります。
そんな中で心に出来た隙間を埋める何かを外に求めることは、子供たちにはよくある事です。
上村遼太くんもきっとそうやって外に何かを求めたのだと思います。
至って普通のことではありますが、それを親がちゃんと見ていてあげないといけないのです。
行き過ぎちゃいそうになった時、後ろから肩に手を掛けてあげるのが大人の仕事です。
それをしてあげられなかったのは本当に残念です。
加害者達の家庭もまたしかり、行き過ぎたあげくに野放しになってしまったのでしょう。
川崎だったから起きた事件ではなく、自分のすぐ近くでも起こりうる事件です。
少年法改正との噂を耳にしましたが、加害者に対する処罰を見直す事にはなっても、こんな悲し過ぎる事件を未然に防ぐ手段では決してありませんね。
殺人を犯したら無条件で死刑になるという法律を作ったら殺人事件はなくなるのでしょうか。
学校や警察、または行政にたとえどんな努力があったとしても難しい問題だと思います。
どんな正義の味方も、自分の命と引き換えには守ってくれはしないのだから。
究極な話、身体を張って守ってやれるのは、お腹を痛めて産んだ母親だけなのだから。
もちろん私自信、報道されるまで欠片程も起きている事柄について知り得なかったことですが、同じ日本に身を置く大人として、母親として、上村遼太くんに申し訳ないという気持ちでいっぱいです。
決して同じ事が繰り返されないよう、大人の仕事、親の仕事をしっかり見つめ直したいと思った事件です。
上村遼太くんのご冥福を心からお祈り致します。